36FS
東アジアの米空軍で最後までF-4を使っていた51st CWもついに F-16に機種を更新した。1988年の暮れにF-16Cブロック30モデルの受領を開始した36th TFSは、1989年の4月には機種更新を完了した。こうして,これ迄日本の何処かで見ることが出来た米空軍のF-4ファントムは姿を消した。同時に海兵隊からもF-4の姿は殆ど消えていたので、”戦闘機といえばファントム”言われた一時代は終焉を迎えることになる。36th TFSは1969年にF-4Cを使用始めているので 最後のE型が消えるまで19年間ファントムを使い続けた事になる。その前のF-105は7年しか使用していないので、如何にF-4が使い良い戦闘機だったかを証明しているのだ。1990年からはF-16Cのブロック42に更新し、夜間攻撃が出来るようLANTIRNの装備を受けている。PACAFの中で始めP&W社のF100PW-220を装備した機体を使った部隊として記録され 今後のブロック更新でF-16時代も結構長くなるかもしれない。(2004年10月 記)3
第36戦闘機中隊の歴史は、1917年つまり第1次世界大戦にまで遡る。この部隊はテキサス州のケリー・フィールドで、ヨーロッパの空で戦うことを志願した若者によって編成され、Uボートの勢力化に有る大西洋を渡ってフランスに派兵され、ドイツ帝国と戦った飛行隊であった。第1次大戦後は一時閉隊したが、1930年にミシガン州セルフリッジで再び編成され、第2次大戦ではP-39戦闘機を受領してニューギニア諸島方面を中心に作戦と展開、当初は優勢な日本海軍の零式戦闘機相手に相当苦労したようである。また、この地域はマラリアと天狗熱との闘いでもあったようだ。1943年P-47に機種更新してフィリピン各地の戦線で活躍している。戦後はP-51を経て板付基地でP-80を受領し朝鮮戦争にも参加し、金哺基地周辺の防空にあったている。この部隊、短い期間築城基地にも常駐した事があるようだが、ベトナム戦争時代にタイに移動した後横田に暫く駐留し、その後は古巣の韓国に戻っている。 朝鮮戦争を契機にずっとこの国と縁の深い飛行隊となっているようだ。
36th FSに配備されたF-16CG/DG (C/D type Block-40)はLANTIRNを装備できるタイプであり、当初はその夜間攻撃能力の高さからナイト・ファルコンと呼ばれた。この機材はミサイルの生産で有名なマーチン・マリエッタ社が開発したもので、エンジンの空気取り入れ口の下に左右2個のほぼ同型のポッドが取り付けられている。この2個のポッドは左右でそれぞれ役割が異なり、右が目標補足用、左が航法用となっている。一つしかつけていない場合は地形追随レダーや赤外線監視装置の入った航法用だが、後に目標補足用を加え2つを付けて運用するようになっている。”OS”のレターをつけた36FSのF-16は、配備されて間もない頃、オープンハウスの際もこれをつけて展示されることが 多かったので記憶に有る人が多いだろう。
F-16に書かれた塗装を行った地区を.示す表示。ユタ州ヒルやアラスカのイールソンなどで行われている。 

(1994)

1995年6月の厚木のHPにおいて 初めて公開された36th FSのF-16C-40。下写真は、シリアルナンバー(90-0774)で 尾翼には第7空軍司令官指定機を示す”7th AF”が書き込まれている。
(90-0774)/1995
↑このF-16C Block30 87-0251は、 51TFWの指令官機として指定されたが、配備されてまもない1989年12月 エンジンのフレームアウトを起こし オーサンに胴体着陸をしている。フィンチップは、左から赤黒チェック、ブルー、グリーンの3パターンの色分けがされていた。
F-16D/89-2168
(90-0774)/1996
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(89-2168)/1996